マニアック

複数業者からのしつこい営業電話がない、買取入札

  • メールアドレスだけの匿名登録なので個人情報が守れる
  • あなたの車に複数業者がおよその買取額を提示
  • 一番高い買取額を提示した業者だけに個人情報を送信

日本人の4WD好きは戦前から?旧日本軍が作らせた四輪駆動車たち

日本人の4WD好きは戦前から?旧日本軍が作らせた四輪駆動車たち

今やスーパーカーから軽自動車まで4WD(4輪駆動車)をラインナップしていて『世界一4WDが大好きな自動車王国』な日本ですが、1970年代に大衆向け乗用車にまで4WDをラインナップしてから急速にその傾向を強めていったといえます。もっとも、日本における国産車の歴史はヨーロッパやアメリカより短く、海外では第2次世界大戦前から既に4WD乗用車が存在したほどでしたが、日本でもっとも自動車需要の多かった軍部でも戦前から海外に負けない4輪駆動車が開発されていました。

意外と歴史が古い4輪駆動車

日本では1971年に宮城スバルが東北電力の要請を受けて開発した『スバルff-1 1300G 4WDバン』を発祥として、初代レオーネ(1971年発売)へ1972年に追加されたエステートバン4WD、さらに1975年に追加された4ドアセダン4WDが初の大衆向け4WD乗用車であり、『世界初の快挙』として日本の自動車産業における誇りのように語り継がれています。

しかし4WD乗用車としては1966年にイギリスのジェンセン・モーターズが世界初の量産4WD乗用車『ジェンセン・FF』を発売しており、しかもメカニズム的にはオフロード用4WDと変わらない旧態依然としたパートタイム4WDを使ったレオーネと異なり、金ぢア的なフルタイム4WDでした。

さらに歴史をさかのぼれば、1910年代には当時世界最多の量産車であるフォード・モデルTに強力なエンジンブレーキをかける目的で4輪駆動車がありましたし、センターデフを持つ世界初のフルタイム4WD車は1902年にオランダのスパイカーが作っています。

重量物輸送用に駆動力、あるいは制動力を分散させた方がいいという考え方自体が自動車の草創期から存在し、19世紀には既に蒸気自動車で4輪駆動が実現していますから、そう目新しいシステムではなかったわけです。

ただし、前後どちらかの2輪を駆動するのと異なり、4輪駆動ではプロペラシャフトやデファレンシャルギアなど動力伝達機構が複雑になって重量が増し、高価でもありますから、自動車自体が高価でエンジンの性能や工作精度が十分でない時代に一般化するには至りませんでした。

日本のレオーネが世界中で驚かれたのも、世界初の4WD乗用車だったからなどではなく、「見るからに安価な大衆車なのにちゃんと4WD」という点だったわけで、実際ジェンセン・FFも高価な上に左ハンドル車の設定がなく、大市場のアメリカはじめ左ハンドル圏で売れなかったため、量産車と言いつつ320台程度と少数生産で終わっています。

それでも4WD車自体がそれまでも存在できたのは悪路走破性の高さが認められていたためで、その威力を十分に発揮した上で大量に注文する組織として軍隊があり、第2次世界大戦などで性能を見せつける機会が多数あったからでした。

戦争でもっとも名を上げたのはアメリカのジープでしたが、日本でも主に陸軍が4輪または6輪駆動の乗用車やトラックを開発、配備していたのです。

ジープより早く開発された野戦四輪駆動車『くろがね四起』

軍用4輪駆動車は1903年にオーストリア時代のオーストリア・ダイムラーが装甲車を作ったのを皮切りに、第1次世界大戦前にはアメリカなどで4輪駆動トラックが登場、4輪駆動車が重量物を積んでも不整地走破性に勝ることを早くも証明していました。

しかしそれが小型簡便で連絡任務や偵察任務に便利な野戦用乗用車にまで応用されるのは、数が必要な車種だけに時間がかかったようです。

アメリカのあまりに有名な4WD車、『ジープ』はバンタム車が1940年に開発、翌1941年からウイリスやフォードなど各社で大量生産されましたが、それに先立つこと5年前、1935年に日本で開発された野戦用4WD車が九五式小型乗用車、通称『くろがね四起』でした。

当時の日本は1931年の満州事変以来、1945年に太平洋戦争敗戦までの『15年戦争』とも呼ばれる戦乱の渦中にあり、特に当時主戦場だった中国大陸での悪路で不整地走破能力に優れた車両が望まれていたため、6輪式で後2軸駆動(6×4WD)の九三式六輪乗用車や九四式六輪自動貨車(トラック)を採用しています。

しかし、2~4名乗車で人員の連絡輸送や偵察任務に使える軽便な車両も求められ、1934年に出された要求に対して数社で試作した結果、日本内燃機(東急くろがね工業を経て現在の日産工機)の試作車が九五式小型乗用車として採用されました。

全長3.6m、全幅1.3mは現在のダイハツ・ブーン/トヨタ・パッソよりまだ若干全長が短く、全幅は360cc時代の軽自動車並で、四輪駆動車という事を考えれば初代スズキ・ジムニーのロングボディ版のように考えればいいかもしれず、ホイールベースも初代ジムニーの1,930mmに対して九五式小型乗用車が2,000mmと似ています。

エンジンは日本内燃機がイギリスのサンビームを技術的に模倣したV型2気筒強制空冷OHV1.2~1.4リッターエンジンでフロントに搭載され、通常は後輪を駆動するものの、必要とあらば副変速機で前輪にも駆動力を伝えるパートタイム4WDでした。

このメカニズムを頑丈な鋼製ラダーフレームに据え付け、フロントはウィッシュボーン独立懸架、リアがリーフリジッドという悪路走破性のみならず操縦性も重視した1980年代RVブーム時のクロカン4WDのような構成で、ボディは2ドアクローズドセダンボディが少数、ほとんどは幌型オープンボディです。

エンジンは33馬力と当時としては標準的で、最大トルク発生回転数のデータはないものの低速から粘りがあったようで、急な階段すら登れるほどの登坂能力もあって、1930年代どころか後年でも通用しそうな性能の軽4WD車でした。

ただし、小型軽便さを追求しすぎて積載能力が劣ったため、後のジープのように小型武装トラック的な運用ができなかったのは少々残念なところで、後にトヨタにジープのコピー版であるAK10を作らせる事となります。

また、日本内燃機も戦後は軍需がなくなったことから戦前以来の『くろがね』ブランドでオート三輪での民需生産に専念、1959年には『くろがね・ベビー』で軽4輪トラックにも進出するとともに東急くろがね工業へと改称するも、結局経営に行き詰って自動車メーカー業からは撤退、九五式小型乗用車『くろがね四起』の開発実績が活かされなかったのは残念でした。

6×4トラックや4輪駆動トラックも開発・配備

前項で少し触れましたが、『くろがね四起』以前でも陸軍では4輪大型乗用車を6輪化して後2軸4輪を駆動する6×4方式の『九三式六輪乗用車』や、そのメカニズムを応用した同じく6×4方式の『九四式六輪自動貨車』を生産、配備していました。

それらの原型は石川島自動車製作所(現在のいすゞ自動車)が1929年に開発した、4輪トラックへローラーチェーン駆動の後輪軸を追加して後4輪駆動としたスミダ六輪自動貨車であり、1930年には東京瓦斯電気工業(現在の日野自動車)も同様の6輪×後4輪駆動トラックTGE-N型を生産開始。

1934年には石川島から4×4方式の4輪駆動トラックも登場、軍用モデルも1938年に九八式四輪起動乗用車、1942年に二式四輪起動貨車が制式採用されました。

太平洋戦争前、あるいは戦中の日本軍は機械化が遅れてトラックもロクになく、そもそもモータリゼーションが進んでいなかったので運転手も特殊技能のような扱いで数少ないのが定説とされていますが、拡大の一途をたどる戦線と軍事力に対して供給が間に合わなかっただけで、開発・配備そのものは盛んに行われていたのです。

戦後はいすゞ・日野ともに民需転換してトラックやバスにその技術が応用され、戦後日本復興の礎のひとつとなっていきました。

トヨタAK10(四式小型貨物車)は戦後ランドクルーザー開発に生きた

しかし『くろがね四起』と軍用トラックの中間にあたる車種不在が日本軍の問題点で、2~7トン積みの大型トラックより小さく、くろがね四起より積載性や乗車人数が多い4輪駆動車があれば、非常に便利だったのは言うまでもありません。

おそらく『大は小を兼ねる』の論理で中途半端な車両はかえって理解を得にくかったのかもしれませんが、太平洋戦争が始まってフィリピンなどでアメリカ製ジープを鹵獲したところ、思ったより扱いやすい万能車両なのが明らかになりました。

そこでトヨタにジープのコピー版開発を命令し、1944年7月に試作車を完成させたのがAK10型で、四式小型貨物車として量産を命じたものの、当時の日本では資材も生産能力も不足している状況であり、生産が軌道に乗る前に1945年8月15日の終戦を迎えます。

トヨタではそれ以前にも1943年にKCY型4輪駆動トラックや、KCY型をベースにスキ型水陸両用車も開発していたので既に4輪駆動車のノウハウを持っており、AK10の開発もメカニズム面で大きな障害はありませんでしたが、問題は軍部から「ジープへあまり似せないように」と注文がついたことでした。

単なるコピー生産と思われて悔しい、意匠権を請求されるというより敵味方識別の問題だったかと思いますが、どのみち太平洋戦争末期で物資窮乏の折、ヘッドライトを1つに減らし外装も大幅に簡略化するなどして完成したAK10は小型トラックとして十分な性能を発揮。

どのみちもっと早い時期に生産・戦力化したとて運転手不足や戦地へ運ぶ間に輸送中の船舶が撃沈されるなどしてそうそう役に立ったとは思えませんが、開発経験自体は戦後に活かされます。

1950年、戦後日本再軍備のため警察予備隊(現在の陸上自衛隊)が創設された時、野戦用4輪駆動小型トラックの競争入札が行われた際、日産の試作車(後のパトロール)、三菱のジープ(アメリカ製ジープのライセンス生産)と並んで提出されたのが、トヨタ・ジープBJ型でした。

採用されたのはジープでしたが、日産の試作車、トヨタジープともに警察や民生用に販売され、トヨタジープは商標問題でランドクルーザーへ改称、現在に至る栄光の道を歩み始めたのです。