トラック重機

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巨体が砂漠を駆ける魅力!ダカールラリーなどで活躍するカミオン部門のレーシングトラック達

年に一度のモータースポーツ大イベントで広大な砂漠や荒れ地を駆け回り、日本メーカーの車も活躍する「ダカールラリー」。WRC(世界ラリー選手権)のようなラリーカーもあれば、旧車が勇ましく参戦する姿も見られるバラエティに富んだイベントですが、「カミオン部門」では普段荷物を運ぶ姿からは想像もつかないほどかっこいいトラック達が走ります!

大自然の中を駆け抜ける、WRCとは一足違ったラリーレイド

自動車のラリー競技といえば、皆さんどんな光景を思い浮かべるでしょうか?実際には舗装路も含め、それなりに整地された道路や積雪路を走ることの方が多いのですが、大草原や砂漠のど真ん中など道なき道を走る勇壮な光景をイメージする人も多いかもしれません。

実際、国際ラリーでもかつては映画「栄光への5000キロ」で日産車が大活躍しサファリラリーなど激しいものもありましたが今は昔、WRC(世界ラリー選手権)などすっかり高速タイムアタック化しているラリーが大半です。
しかしそうしたラリー競技とはまた別に、「ラリーレイド」と呼ばれる競技では一般的なイメージどおりに大自然を冒険するかのような光景が繰り広げられることが多く、高速化の影響を受けているとはいえ、今でも危険と隣り合わせな代わり、迫力あるイベントとして知られています。

アドベンチャーラリーやクロスカントリーラリーと言われるラリーレイドはFIA(国際自動車連盟)が主催するクロスカントリーラリー・ワールドカップなど世界中で開催されていますが、その頂点といえるのが通称「パリダカ」こと、ダカールラリーです。

現在はアフリカではなく南米での開催になったのでパリもダカールも関係なくなりましたが、慣例としてこの記事では「パリダカ」と呼びます。

サポートトラックさえも参加車の一台といえるラリーレイド

もともと自動車レースは1894年にフランスで開催された都市間耐久レース「パリ~ルーアンラリー」が最初とされており、フランスのパリ~セネガルのダカール間を結ぶ形で1978年に始まったパリ~ダカールラリーは、F1やインディ、ル・マンよりも何よりも原始的なレースを受け継ぐラリーレイド競技だったと言えるかもしれません。

タイヤと動力があれば全て自動車と認め、ベスパやスーパーカブさえ参戦した初期の「パリダカ」には既にカミオン(フランス語の「トラック」)も当然のように参戦しており、パリを出てはるか彼方のダカールを目指していきました。

1980年には通常の4輪車とは別にカミオン部門が設立されたほどトラック野郎の勇気ある参戦は続きましたが、それとは別に予備部品や修理や整備に使う工具を満載し、スタッフを載せたサポート部隊のカミオンも続々と競技車両を追っていったのです。

別ルートで近道や待ち伏せも可能なサポート部隊といっても、当然ながら競技車両の勢いに展開が追いつかないようでは仕事になりませんし、整備や修理が必要となるポイントまでの道がしっかり舗装されているとも限りません。

したがってサポート部隊のカミオンも大径タイヤに悪路へ耐えうるロングストロークサスペンションを持ち、4輪駆動で轟然とアフリカの大地を走るようになるため、そのうちサポート部隊に飽きたらなくなったメーカーやメカニックの手により、レーシングカミオンが登場するのは歴史的必然でした。

パリダカは回を追うごとに規模を拡大、高速化していきますが、ついにはあまりに速くて危険すぎ、WRCを締め出されたグループBラリーカー(プジョー205T16や405T16、ポルシェ959など)が大径タイヤを履いてパリダカへ大挙進出してきます。

刺激されるようにしてレーシングカミオンも先鋭化、1988年の第10回大会へヤン・デルーイが持ち込んだDAF(オランダ)のターボ・ツインIIなど、1,200馬力のターボエンジンを2基搭載したアルミフレームの「トラックなのは見た目だけ、中身はレーシングカー」へと発展していくのです。

レーシングカミオン日本代表、日野レンジャー!

パリダカで勇名をあげた日本車代表といえば三菱・パジェロがダントツでありましたが、他にも日産やトヨタなどラリーで名を上げたメーカーも出場しています。しかし、創業50周年イベントとして日野自動車が1991年からの参戦を発表した時には、まだ壮大なバブル景気真っ只中とはいえ、日本中が驚きました。

何しろ日野自動車といえば戦後すぐの時代にフランスのルノーと提携して日野ルノー4CVで乗用車事業へ進出、1960年代の戦後日本モータースポーツ草創期には、独自開発の乗用車「コンテッサ」やフォーミュラマシン「デル」、日野プロトGTPやサムライなどプロトタイプレーシングカーでも活躍していた名門です。

しかしトヨタと業務提携後、1967年以降はトヨタ傘下のトラック・バス部門となって乗用車開発・販売から遠ざかっていた上に、日本ではアメリカやヨーロッパと違いトラックレースなど開催されていませんでしたから、1990年頃の日野自動車にモータースポーツイメージなど皆無でした。

しかし1991年の第13大会に中型トラック「レンジャー」で乗り込んだ日野自動車は、時期によってワークス/セミワークスと体制は異なるものの、現在まで継続してラリーレイドへ参戦し続ける、日本で唯一のレーシング・カミオンメーカーとなったのです。

ほかに三菱自動車大型部門だった時代の三菱ふそうバス・トラックが大型トラック「ザ・グレート」で1997年に参戦した記録などありますが、継続的参戦をしている日野レンジャーこそがパリダカをはじめとするラリーレイド競技カミオン部門日本代表と言えるでしょう。

代表的なレーシング・カミオン達

日野レンジャーの武勇伝の前に、パリダカで活躍する主なカミオンメーカーと近年の代表的な車種を紹介しましょう。

かつてはミッドシップ4WDターボのプロトタイプ・トラック(市販車とは形状が似ているだけで全くのオリジナル車両)が多かったのですが、現在は一般的なフロントエンジンの市販車改造トラックが参戦しています。

10リッター以上の排気量を持つディーゼルターボのモンスタートラックが大半で、排気量6~8リッター級で10リッター以下のクラスとなる日野レンジャーは、通常のラリーカーに比べれば大型で大迫力なものの、カミオンとしては小型軽量を売りとした小兵です。

カマズ(ロシア)

ロシアといえば社会主義の親玉旧ソ連(ソヴィエト社会主義共和国連邦)、トラックメーカーも当然国営でカマズは1969年に誕生しました。

旧ソ連崩壊後の1990年代から、貧乏になった旧東側諸国ではなく西側へも販路を広げるためかパリダカへも熱心に参戦し、1996年には初優勝以来快進撃、2000年代以降はなんと15回もカミオン部門で優勝しており、2019年の第41回大会で3年連続の優勝を飾ったのも、レッドブルカラーのカマズ43509です。

自動車に限らずさまざまなモータースポーツに投資しているものの、広告宣伝効果の評価には非常にシビアなレッドブルがスポンサードしていることからも、カマズの実力と寄せられる大きな期待がうかがえます。

イヴェコ(イタリア)

2019年のパリダカで最後まで強豪カマズへ食いついていたのがイヴェコで、イタリアに本社を持つ国際トラックメーカーです。

ヨーロッパの自動車メーカーではよくありがちな、国境を越える合併で生まれたメーカーで1975年にイタリアのフィアット大型車・建機・鉄道部門を中心に、ユニック(フランス)、マギルス(ドイツ)と合併して誕生しました。

パリダカのカミオン部門では2016年や2012年に大型ボンネット・トラクターヘッドのイヴェコ・パワースターが優勝するなど活躍しており、現在もカマズの好敵手です。

他のカミオンメーカー同様イヴェコも日本では無名に近いのですが、消防車など一部の輸入使用例があるので、まだ日本と縁がある方かもしれません。

リアス(チェコ)

東欧革命前の1985年からパリダカへ参戦していたチェコ(東欧革命以前はチェコスロバキア)のトラックメーカーで、革命のゴタゴタに巻き込まれて販売も生産もうまくいかずに2000年代以降はほとんど休眠していたものの、2017年に復活をとげ、2019年のパリダカでも一時は上位を走る活躍を見せています。

MAZ(ベラルーシ)

旧ソ連軍需工場系のトラックメーカーという意味ではカマズと同じですが、こちらはロシアではなくベラルーシのメーカーで操業開始も1944年と老舗。

東ヨーロッパ最大級のトラック・バスメーカーでパリダカにも参戦しており、2019年は最終雨的な上位進出こそならなかったものの、リアス同様一時は上位を走っていました。

タトラ(チェコ)

気がつけばイヴェコ以外は東欧・旧ソ連のメーカーばかりになっていますが、高速性能だけでなく耐久性も重視されるパリダカでは質実剛健ぶりも必要なのでしょう。しかしタトラはプジョーやメルセデス・ベンツなどに次ぐれっきとした老舗自動車メーカーで、1990年代までは乗用車も作る総合メーカーでした。

現在でもトラックメーカーとしては一流どころで、パリダカでは2001年のタトラ815以来優勝から遠ざかってはいるものの、現在でも上位を走る強豪には違いありません。

小兵ながらカミオン部門総合優勝経験もある勇者、日野レンジャー

これら強豪は基本的に13リッター級のディーゼルターボエンジンを搭載した大型トラックばかりですが、日本から挑んだ日野レンジャーは初期に6リッター、後に8リッター級のディーゼルターボエンジンを搭載した、ライバルからすれば軽トラのような存在に過ぎません。

しかし路面が荒れまくっているかフカフカ、ステージによってはそのへんに穴が空いていたり大ジャンプも珍しくないパリダカではこの小型軽量さが「台風の目」になりました。

1991年の初参戦こそ創業記念イベントかと思われたものの、実際は「3年以内に上位完走」を目標とするかなり本気のプロジェクトで、世界情勢の都合でプライベーターへ車両貸与しての参戦に留まる時期があったものの、1996年の第2次ワークス参戦から再び本腰を入れます。

ついに努力が結実したのは「ライジングレンジャー」で参戦した1997年、見事にカミオン部門総合優勝を成し遂げ、日本中に「日野レンジャー」の名を轟かせるとともに、一気に日野自動車とレンジャーのブランドイメージを引き上げてみせました。

さすがに毎回優勝に絡むとはいかないながら、毎回ライバルのモンスターカミオンに負けぬ実力でパリダカへ挑んでおり、現在もチームスガワラとジョイントした「日野チームスガワラ」として参戦を続けています。