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ライバルメーカーなしでは盛り上がらない!モータースポーツ名勝負「打倒スズキに燃えたダイハツ」

打倒スズキに燃えたダイハツ

スズキとダイハツといえば、スズキが2代目スイフト以降の国際規格プレミアム・コンパクト重視路線に転換するまでは、軽自動車販売シェアNo.1を激しく争うライバル同士でした。両者は販売現場のみならずモータースポーツでも激しい火花を散らす関係で、特に1980年代半ばから1990年代にかけ、ターボエンジンを得た軽ホットハッチ全盛期には両者の維持と言える戦いが続いたのです。

織機から二輪・四輪メーカーへ転身したスズキと、生粋のエンジン屋ダイハツ

日本が世界に誇るマイクロカー、軽自動車の2トップと言えるスズキとダイハツ工業。両社の始まりはダイハツが『発動機製造』として1907年に、スズキが『鈴木式織機製作所』として1909年に創業したのでほぼ同時期ですが、創業時の社名を見ればわかるように、両社は全く異なる物を作る製造メーカーとして誕生しました。

『鈴木式織機製作所』、後の『鈴木式織機』はその名の通り織機メーカーで、トヨタの本家と言える豊田自動織機の同業であり、当初の木製織機から金属製織機へ生産転換を図る上で多数の特許を取得、精密工作技術を蓄積しており、戦前から自動車生産も試みていたものの、現実となったのは1950年代のこと。

1952年に補助エンジンつき自転車『パワーフリー』、1953年に排気量を拡大した『ダイヤモンドフリー』で自動二輪車業界へ進出し、1954年に『スズキ自動車工業』へ社名変更、1955年のコレダ号から本格的にオートバイを開発・生産・販売するようになりました。

同年にはスバル360に先駆け360cc時代初の軽4輪乗用車『スズライト』を発売したので2輪・4輪同時参入となり、自動車メーカーとしては比較的若い部類に入り、現在の『スズキ』へと社名変更したのは1990年。

2000年代はじめまで、4輪車では一貫して軽自動車と低価格コンパクトカー専業で生き抜くという国産車メーカーではかなり特異な歴史を持ち、アメリカのGMからも認められて長く提携していましたが、不振を極めて一時倒産・国有化されていたGMの手を離れて以降はプレミアム・コンパクトカーに力を入れます。

一時期は軽自動車よりコンパクトカーへ力を入れていたので、ダイハツに数年間軽自動車シェアNo.1を奪われていたこともありましたが、現在も軽量コンパクトな設計を得意としており、2017年には先進技術を求めてトヨタと提携、ダイハツほど関係は深くないものの、トヨタ陣営の一員となりました。

一方、『発動機製造』は工場などで使う定置式内燃機関メーカーとしてスタートし、1930年にオート三輪『ダイハツ号HA型』から自動車産業へ参入、軍用/民用含むガソリンエンジン/ディーゼルエンジンとオート三輪のメーカーとして戦前~戦後も続き、1951年には『ダイハツ工業』へと社名変更。

1958年の4輪トラック『ベスタ』で4輪車に、1963年の『コンパーノ』で4輪乗用車に参入しますが、1967年に業界再編でトヨタと提携して傘下に入り、1998年にトヨタ子会社、2016年に完全子会社となって以降はトヨタの軽自動車~コンパクトカーおよび新興国向け低価格車部門となり、その道のプロフェッショナルとしてトヨタの世界戦略を支えるようになりました。

スズキほどエキセントリックな車は作らないものの、地味ながら堅実に車を作る手堅い自動車メーカーとして評価されており、トヨタの陰に隠れて目立たないものの、高い技術力を誇る生粋のエンジン屋であり自動車屋であると言えます。

当初接点の少なかったスズキとダイハツ

織機メーカーから1950年代半ばに自動車産業へ進出したスズキと、戦前からの老舗オート三輪メーカーとしてマツダと争いながら、4輪乗用車メーカー進出は1963年とホンダと並ぶ最後発組だったダイハツでは4輪自動車進出への流れがかなり異なり、当初はあまり競り合うような接点もありませんでした。

かたやひたすら軽自動車を作り、小型車は「ウチでも作れますよ」とアピールするため『スズライト・フロンテ800』(1965-1969)くらいしか作らなかったスズキと、イタリアンルックの小型車コンパーノで4輪乗用車へ参入後、1966年にスズキから11年遅れで初の軽乗用車『フェロー』を発売したダイハツ。

自動車産業の中でのライバル関係は、スズキがスズライト・フロンテ360と争った『スバル360』のスバルであり、モータースポーツでも日本グランプリでスズキ車と戦ったのはスバル360やマツダの『キャロル」などです。

ダイハツのライバルはコンパーノバンやコンパーノベルリーナと争ったマツダの『ファミリア』やトヨタの『パブリカ』など800~1,000ccクラス乗用車や、コンパーノスパイダーと争ったホンダS600のようなオープンスポーツカーでした。

唯一接点があったのは軽トラック/軽バンといった軽商用車くらいで、ダイハツ『ハイゼット』(1960年発売)、スズキ『キャリイ』(1961年発売)がほぼ同期で、かつてはスバルの『サンバー』やマツダの『ポーター』、愛知機械の『ジャイアントコニー360』、三菱『ミニキャブ』などと激しいシェア争いを繰り広げつつ、両車とも2019年5月現在まで60年近く生き残っているご長寿車名。

1960年代後半から1970年代はじめにかけてハイパワー軽自動車が流行した『第1次軽自動車パワーウォーズ』の時、初めてダイハツ『フェロー』とスズキ『フロンテ』が馬力争いを繰り広げ、『フェローMAX SS』が40馬力、『フロンテGT-W』も37馬力を発揮するなど、グロス表記とはいえリッター100馬力オーバーへ達します。

その当時まだ全日本シリーズへと一本化されていなかったラリー競技や、軽自動車で戦われるミニカーレースでもフェローMAXやフロンテ、フロンテクーペが激しく争うようになりました。

販売台数の面でもホンダの軽乗用車撤退(軽トラは継続)により、1973年から2006年までの34年間にわたりスズキが不動の軽自動車販売トップを維持しますが、ダイハツも次第に力をつけ三菱やスバルを蹴落とし軽自動車第2位メーカーへ成長。1980年代半ばには相次いでターボエンジンや電子制御燃料噴射をモノにして、第2次軽自動車パワーウォーズの幕を開けました。

ラリーやダートラで激しく争うアルトワークスとミラTR-XX

1985年、キャブレター式ながらインタークーラーつきSOHCターボを搭載、50馬力を発揮するダイハツ『ミラTR-XX』が発売。

スズキも当初はEPI(電子制御燃料噴射装置)にインタークーラーつきSOHCターボを搭載した『アルトターボ』、インタークーラーターボの代わりにDOHC化した『アルトルツインカム』を発売して対抗しますがミラTR-XXのパワーには及ばず。

しかし1987年、両車を統合したEPIインタークーラーつきDOHC4バルブターボ搭載『アルトワークス』を発売、64馬力を発揮して現在の軽自動車64馬力自主規制を作ります。

ダイハツもSOHC2バルブのままながらEFI(電子制御燃料噴射装置)化、当初58馬力、最終的に64馬力化を達成してアルトワークスに並び、そして両社にはフルタイム4WDも設定されていました。

そうなると2台の軽4WDターボが激しく争う場は販売現場のみならずモータースポーツへと拡大、ラリー競技の1,000cc以下クラスで日産『マーチ』やスバル『ジャスティ』を押しのけ、2大主力マシンの戦いが始まったのです。

550cc時代の戦いは意外にもSOHC2バルブターボだったミラTR-XX 4WD(L71V)が優位に進め、アルトワークスRS-R(CC72V/CM11V)は苦戦を強いられました。

一般的な認識としては、「DOHC4バルブはSOHC2バルブより強い、エライ」と思われがちで、アルトワークスのF5A/F5Bターボは実際高回転までよく回る名機だったものの、DOHC4バルブエンジンには部品点数が多くて重く高価というデメリットもあります。

同じパワーならSOHC2バルブエンジンの方が軽く、さらに堅実で耐久性の高い実用エンジンを得意とするダイハツは、高回転域への吹け上がりこそスズキのエンジンに劣ったものの、パワーバンドの広さや実用トルク、その範囲内でのレスポンスの良さが好成績につながりました。

660cc時代、天下を取ったスズキ・アルトワークス

1990年の軽自動車規格改正で各社660ccへと排気量を拡大すると、もはや1,000ccクラスコンパクトカーでは軽ターボへ太刀打ちできなくなり、全日本ラリーや新たに軽自動車向けクラスが設けられた全日本ダートトライアルは、軽4WDターボの独壇場となります。

当初、550cc時代の勢いをそのままに、クロスミッションなどスペシャルパーツを組みこんだ『ミラX4R』(L210S)でダイハツが圧倒的優位に立ち、1992年にスバル『ヴィヴィオRX-RA』(KK4)も加わった三つ巴の決戦では、相変わらず高回転型ターボF6Aを積んだ『アルトワークスRS/R』(CP21S/CS22S)は苦戦しました。

しかし、ライバルに倣ってスズキもモータースポーツ用パーツを組み込んだ『アルトワークスR』を投入した頃から形勢逆転、1994年には低速トルクも太いオールアルミエンジンK6Aを搭載した新型アルトワークスRが投入されると、盤石の最強マシンへと成長します。

ダイハツも対抗して、ついに完全新開発の直列4気筒DOHCインタークーラーターボエンジンJB-JLを搭載した、『ミラTR-XXアヴァンツァートX4』(L512S)を投入しますが、高回転ハイパワー型のJB-JLではスズキの低速からパンチがあるK6Aへ対抗できない、というかつてとは真逆のパターンに陥りました。

結局660cc旧規格時代のラリー、ダートトライアルは最終的にスズキ『アルトワークスR』の天下となり、ダイハツは全く勝てなくなってしまったのです。

打倒スズキ!全てをかなぐり捨てたダイハツの決戦兵器、ストーリアX4

L512SミラX4でスズキに全く勝てなくなったダイハツですが、JB-JLエンジンの潜在的ポテンシャルを開放し、軽自動車規格を越えた排気量に自主規制枠を超えたハイパワー、高速域での安定性に寄与するコンパクトカー用ボディを組み合わせたリトルモンスター開発を決意します。

それが1998年に登場したM112S『ストーリアX4(クロスフォー)』で、1,000ccクラスコンパクトカー『ストーリア』のボディに、JB-JLをストロークアップしてアルトワークスと同クラスに出場できる最大限の713ccまで排気量を拡大。

1,300ccクラス用ターボチャージャーの高回転型を大きなターボラグによる『超どっかんターボ』化を覚悟で搭載してカタログ出力120馬力、メタルクラッチ(初期型のみ)や前後デフに機械式LSDを標準装備した代わり、パワステもエアコンもオプションで軽量安価にまとめるという、軽自動車やコンパクトカーの規格を越えた怪物を生み出します。

本来なら軽自動車同士の勝負で決めたいところ、どうしてもスズキに勝ちたい、スズキにさえ勝てればというなりふり構わぬ姿勢で生まれたストーリアX4はまさに『対アルトワークス用決戦兵器』でしたが、それでも旧規格660cc後期のHB21S『アルトワークスR』は互角に戦えたのだから、大したものでした。

結局、スズキはワークスチームである『スズキスポーツ』(現在の『モンスター』)が次第に軽自動車クラスから撤退していき、アルトワークスRがプライベーターのみとなると、ダイハツのワークス『DRS』などが走らせるストーリアX4がラリーでもダートトライアルでも連戦連勝となりますが、スズキのワークスチーム撤退後では『不戦勝』と言われても仕方がありません。

しかしスズキがいよいよサジを投げて撤退するまで粘り強く戦い続けたダイハツが、小型車に力を入れ始めたスズキにモータースポーツでも軽自動車の販売シェア争いでも、一時的にトップに立った時期があったのは確かでした。

2019年4月現在ではスズキは『アルトワークス』を現行アルトで復活させてはいるものの、2015年12月に発売してから走りに関わる部分の改良はなくほぼ放ったらかし。

ダイハツも軽オープンスポーツ『コペン』を2代続けて販売しているものの、アルトワークス対抗馬となるホットハッチは長らく作っていないため、ライバル関係にない2社の争いは、どこか冷めている感があります。

こうなると、なりふり構わずライバルに勝つための新型車を矢継ぎ早に送り出していたあの頃が、妙に懐かしくなるものです。