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ライトウェイト・スーパースポーツならオマカセ!ロータス

ライトウェイト・スーパースポーツならオマカセ!ロータス

現在もエリーゼやエキシージ、エヴォーラなど『軽さこそ正義』と言わんばかりのライトウェイト・ハイパフォーマンスカーで名声を得ているイギリスの小規模生産スポーツカーメーカー、ロータス。マレーシアのプロトンを経て中国のジーリー(吉利汽車)傘下となっても送り出す車の性質は変わらず、高価な重量級ハイパワースーパーカーとは対極的な、比較的手頃なライトウェイトスポーツカーメーカーの代表的存在です。

恋人の家の裏、小さな納屋で始まったロータスの物語

自動車メーカーの始まりにはさまざまな形がありますが、中でもロータスのそれはロマンチックな甘い色彩を帯びて語り継がれる、ひとつの青春物語として始まります。

第2次世界大戦中はまだ若くて兵役につかず、大学で航空宇宙工学技術を学んだコーリン・チャップマンという青年は、戦後の1948年に卒業したものの、戦勝国とはいえ疲弊しきっていたイギリスの航空産業では仕事がなかったゆえか、学生時代から中古車ビジネスを始めていました。

順調だった中古車販売ですが、1台だけどうしても古臭くて売れない1930年式オースチン・セブンだけが残ってしまい、どうせならレースにでも出るかと改造することを決め、恋人のヘイゼルに頼んで家の裏にある納屋を貸してもらい、1台のレーシングカーを作ります。

これがロータスの始まりだったらしいのですが、小さな納屋で時々様子を見に来る恋人に見守られながら、熱心にハンドメイド・レーシングカーを作る青年が後にスポーツカーやF1グランプリの歴史に名を刻むなど、誰が予想できたでしょうか?

アンダーパワーだったので本格レースは無理と思われた1号車を習作としてチャップマンはすぐに2号車の製作に取り掛かり、1950年に完成すると『ロータス・マーク2』と名付けられます。

知識とセンスに裏付けられたロータス・マーク2の戦闘力は抜群でレースで多数の勝利をもぎ取り、しまいには1920年代の骨董品とはいえ本格グランプリ・レーサーにまで勝ってしまうと、周囲を大変に驚かせました。

抜群の戦績を残したマーク2が売れて自信を深めたチャップマンは、続くレーシングカーとしてマーク3、マーク4を開発、当時のフォーミュラ750で驚異的な戦闘力を発揮して、小さな納屋からちょっと大きなガレージに移った程度のバックヤードビルダー『ロータス』の名を轟かせたのでした。

量産スポーツカーメーカー、ロータス誕生

レーシングカーの売却で得た資金を元に拡大したロータスは、初の量産スポーツカー『マーク6』をは1953年に発売されてこれまたレースで大活躍するヒット作となり、1954年にロータスは法人化、翌1955年には正式に自動車メーカーとなります。

マーク6と並行してマーク8からマーク11までのレーシングカーを開発、これも非常によく売れたので、1957年にはついに3台のスポーツカーおよびレーシングカーの同時開発に着手しました。

・F2グランプリレーシングカー『タイプ12』
・量産FRPスポーツカー『タイプ14 エリート』
・量産スポーツカー『セブン』

タイプ12は後にF1GPにも参戦する『チーム・ロータス』によって1957年からF2への参戦をはじめ、タイプ16を経て1960年には初期ミッドシップ・レイアウトフォーミュラの傑作、タイプ18でF1GP初優勝まで飾ります。

タイプ14エリートはFRPフルモノコックを軽量ボディにタイプ12譲りの本格レーシングサスペンションを組み合わせ、安価な消防ポンプ用エンジンでも素晴らしい走りができたことから大ヒットとなった一方、あまりに斬新な技術を使い過ぎて品質問題で苦労しましたが、やがて生産性が高く頑強なバックボーンフレームへFRPボディを載せた傑作、『タイプ26エラン』へと発展しました。

最後のセブンは、最初からさまざまなエンジンの搭載を考慮したキットカー型式で発展性、拡張性が高く非常に安価、ユーザーが手を入れやすいことから大人気モデルとなり、やがて生産性の問題でロータスが手放した生産権をケータハムが引き取った1973年以降、『ケータハム・セブン』となって現在も最新モデルの販売が続けられています。

1950年代後半から1960年代にかけてスポーツカーメーカーとレーシングコンストラクターとしての基礎を築いたロータスは、さらなる発展を続けようとしていました。

『羊の皮を被った狼』コーティナや、『サーキットの狼』で日本でも有名になったヨーロッパ

人気は得たものの商業的には失敗したエリートやセブンをエランの大ヒットで持ち直したロータスは1960年、ヨーロッパ・フォードからの依頼で同社の大衆向けサルーン、コーティナのレーシング・バージョン開発を依頼され、『タイプ28コーティナ・ロータス』として1963年に発売、ロータス独自のDOHCエンジンを搭載したコーティナはレースで大活躍します。

さらに1966年、F1GPマシンで培ったミッドシップ・レイアウトを市販車にもフィードバックさせた『タイプ46ヨーロッパ』を発売、まさに地を這うように低いボディとロータスらしい軽量ボディ、ミッドシップならではの高い運動性でまたもやヒット作となりました。

それに先立ち1963年にはF1GPを、さらにインディ500をも制覇してレーシングコンストラクターとしても頂点に立ちます。

ここに至るまで、主にエリートとセブンがあまりにも生産性が悪かった事に起因する経営危機はありましたが、結果的には次のモデルで巻き返したり、グランプリレースでの名声によってブランドイメージを確立するなど、この時期のロータスはまさに黄金期を迎えていたのです。

高級路線への転換と、提携拡大でトヨタとの関係が始まる

1970年代に入って世界はアメリカのマスキー法から始まる厳しい排ガス規制時代を迎えますが、もともとさほどハイパワーでもないエンジンを軽量ボディでスポーツカーとして成り立たせていたロータスは、さほど深刻なダメージを受けなかったようです。

1974年に発売した高級スポーツ路線転換第1号『エリート』(2代目)こそ成功しませんでしたが、1975年に相次いで発表された第2、第3号の『エスプリ』『エクラ(後にエクラ・エクセルを経てエクセルに改称)』は成功作となりました。

さらにジェンセンやタルボとの提携でエンジンなどの開発、その後長い付き合いとなるトヨタとの提携開始でセリカXX(2代目)やMR2(初代)の開発に関わり、シボレーやオペル、いすゞなどGMグループからの依頼も舞い込むようになるなど、単なるスポーツカーメーカーに留まらず、世界規模での活躍が始まります。

しかしロータスにとって不幸だったのは、各種提携の中に映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で有名になった短命のスポーツカー『デロリアンDMC-12』が含まれていたことで、ジョン・デロリアンが陥れられた数々の嫌疑に巻き込まれたストレスにより、創業者コーリン・チャップマンを1982年に心臓発作で失ってしまいました。

チャップマン死後の苦境とエリーゼでの復活劇

創業者チャップマンを失った後のロータスは全く精彩を欠いてしまい、1989年に原点に戻る起死回生策として発売された『エラン』(2代目)は同社初のFFライトウェイトオープンスポーツとして世界を驚かせ、実際そのハンドリングは高く評価されたにも関わらず、保守的なロータスファンは冷淡でした。

商業的に失敗した2代目エランは最終的に韓国のキアに生産権が移されキア・ビガートとして短期間生産されたのみで終わり、1992年にエクセルの生産も終わるとエスプリのみ細々と生産する小規模スポーツカーメーカーへと落ちぶれてしまいます。

F1GPで一世風靡したチーム・ロータスも1990年代に入ると慢性的な運営資金不足で1994年に消滅、ロータス自体も1986年にGM、1993年にブガッティ傘下となりますが、1995年にブガッティすら破産すると、いよいよ他のイギリス自動車メーカーと同様、ブランドのみ買い取られて会社消滅の危機にまで追い込まれました。

しかしその年、アルミ合金製バスタブフレームとリベットを使わず接着剤を使って組み立てられたアルミシャシーにFRPボディを被せ、ローバー製エンジンをミッドシップに搭載した画期的な超軽量ライトウェイトオープンスポーツ、『タイプ111エリーゼ』が誕生。

航空機開発・生産のテクノロジーを活用した、『セブン』や『エラン』、『ヨーロッパ』の再来を思わせる原点回帰した最新最強スポーツの登場で、ロータスは不死鳥のごとく甦ったのです!

1人の青年の青春物語から始まったロータスは、まさに崖っぷちで自ら立ち上がる事に成功、やがてエンジンはトヨタ製に独自のスーパーチャージャーも追加したハイパワーバージョンも追加、クローズドボディの『エキシージ』や上級版『ヨーロッパS』、2+2シーター版『エヴォーラ』も登場。

経営の方も1996年にはマレーシアのプロトン、2017年からは中国のジーリー(吉利汽車)がスポンサーにつき、エリーゼ登場以降の拡張路線は一時停滞したものの、とりあえず安泰という状況です。

むしろチャイナ・マネーが入った事で次世代に向けた新たな計画に弾みがつき、2019年4月の上海モーターショーでは発売価格3億円とも言われる新型EVハイパーカー『タイプ130』の開発計画が発表されました。

完全に消滅してからブランドのみ入手されると、ネームバリューのみ活かして過去のモデルと全く関係のない車にブランドが冠されてしまうのはよくある話ですが、幸い『エリーゼ』のおかげでロータスは自力復活に成功したため、今後も魅力的なライトウェイトスポーツを提供するメーカーとして存続していけそうです。